DIARY

Nothing

Still Alive

今年はなんもない1年だったなぁ

いや何もワケじゃなくて何もないことが分かった1年というか、決して悲観してるのではなく

 

 

年明けから運が悪かった気がする…(笑)

個展に向けて毎日無理をして突っ走り

結局体調を崩して5月に開催予定だった個展を中止した

それで自己嫌悪になってもっと具合悪くなって正直4月から6月までの記憶があんまりない

 

 

元気無さすぎて死ぬかと思ったからウォールペイントを描いたんだね

夏から秋にかけて毎日必死で描いた気がする

久しぶりの東京滞在で絵以外の刺激もいっぱいあった

 

その3ヶ月間、本当に色んなことがあったんだけど

終わって振り返ってみたらまるで人生の縮図のような3ヶ月間だった

 

 

良いことも悪いことも(いやもちろん良いことのが多かったけれど)たくさんあって

気分の上がり下がりが目まぐるしかった

 

絵が描けるのがうれしくて、それを観に来てくれる人と会えるのもうれしくて

初恋してるときのような気分の時もあったり、

どうしても気分が上がらなくて描けなくて帰った悲しい日もあった

 

 

うまく云えないけれどこれってきっと一生続いていくんだろうなって想った

そう想ったらなにもないんだなって感じたんです

たんたんと進んで行ってこれが死ぬまで続くなんて なんて絶望的なんだろうと始めは想ったけれど

もしかしたら絶望でも希望でもなくて

ただの現実なのかもしれないなって

 

その現実を突きつけられた時 果たしてどうやって生きていこうかと考えます

 

 

あんなに絶望して死のうとまで想ったのに結局"まだ生きてる"んだね

でも"まだ生きてる"ならこれからの人生いくらでも好き勝手に生きていけるのかもしれない

 

だって"まだ生きてる"んだから

 

 

2018/12/31

次の個展のテーマは「肯定」かなー

肯定されなくて苦しんでる人に「大丈夫だよ」って云いたい

自分をさらけ出して絵にしたらよろこんでくれる人が結構いて

何より結果的に自分自身が肯定されたいのかも

 

前回の「ALIVE」は最終地点の肯定だった気がする

次はそこに行き着くまでの道のりを肯定したい

 

苦しくて死んでしまいたかった思春期

変に悟って大人になったのに、それ以上に辛い出来事はたくさんあった

そしてこれからも哀しい出来事は続いていくんだろう

 

でもそれがなかったら今の自分はない

渦中にいるときはとても未来のことなんて考えられないけれど、これは事実

 

 

生生しく、それでいて未来に繋がるような希望を込めた肯定

 

生き抜いたら死んでいく

当たり前の日日を更新して毎日新しく生きていく

 

 

2018/02/06

誰が1番驚いたかって

私が1番驚いている

きっと誰ともまともに喋れず、毎日自己嫌悪になる覚悟で在廊するつもりだった

 

それがどうしたことか

誰が1番楽しかったかって、迷わず答えられる

私だ

 

自信がなかったわけじゃない

でもこんなに肯定してもらえるなんて想ってもみなかった

 

私が描いた絵を観て

笑う人、

顔をしかめる人、

泣く人、

私が夢に見ていた光景がそこにあった

 

 

今まで起きたすべての出来事が、私の中に息づいている

その出来事がいつの間にか無意識のうちに絵に溶けだしている

 

それなら

あの時の死んでしまいたかった想いや

死に抗って身体を傷付けた日日も

決して無駄じゃなかったんだと想う

 

 

夢に向かって削られながら

たとえ壊れてしまうとしても もう走り続けることができる

 

だって私は画家なのだから

 

私は絵を描いて生きて行く

これまでも、これからも

 

 

 

2017/12/03

 

ALIVE

生きている。

 

 

爪や髪、少しづつ伸びるものが苦手だ。

いっそ無くなってしまえばいいのにとさえ思う。

でもそれらを切る度に実感が湧く。

私の体は「生きろ」と云ってくる。

 

 

花が独りで咲けないように、何かに息吹を与えられ生まれてきた。

風に運ばれた種は、

やがて花を咲かせ、陽に灼かれ、冷たい風に枯れ、雨に溶け、土に眠る。

互いの欠如を満たし合い、

生まれては死んでいく この世界の循環に参加できないのならば、 

せめて自分の生命を使い切って 花を描いて死にたい。

 

人生は短い それもたった一度切り。

神様がくれた壮大な暇潰し。

歓びも哀しみも 明日には全部なくなってしまうかもしれない。

それなら

できるだけ君の横で笑っていたい、いつも君を咲わせていたい。

 

 

今だけ 男の子も女の子もなくなって

今だけ 生きてることも死んでくことも忘れて 

最期に辿り着く場所が同じもの同士  手を繋いで踊りませんか?

 

哀しみの涙を風船にして みんなで星になって輝きたい。

それは生命を燃やして生きてきた人生の輝き。

 

何度も 何度も 何度も 生きていたくないと思ったことがある。

それでも今 ここにいるのは、生きていく道を自分自身で選んできたからなんだ。

 

美しくは生きられない、でも

生きるって美しいことなんだと想う、きっと

 

 

 今日、夢から醒めた私はまた夢を見る。

その夢から醒めたら きっとまた違う夢を見続けるんだろう。

そうやって生きていく。

 

 

あなたは私を知らない。

知っているのは私が残した一枚の絵だけ。

その絵は既に私の手を離れ

今や好き勝手に動き出して 部屋中を暴れ回っている。

 

 

 

ホリウチ ヒロミ

 

2017/11/02

生きていたい

あなたは私を知らない

知っているのは私が残した一枚の絵だけ

 

その絵は既に私の手を離れ

今や勝手に動き出して 部屋中を暴れ回っている

 

生きていくってどういうことなのか

結局うまく言語化できませんでした

でも自分で描いた絵を眺めると、そこに答えがある気がする不思議

 

毎日必死に命を燃やして生きてきた、自分を奮いたたせて

転んで擦りむいて血が流れても

そのまま笑って走り続けられた

転んだことすら笑い話に変えて

そんなこともあったねと、想えるようになった

 

私の中にまだこんな怪物がいたのか

しかも、それはこんなにも生命を沸きたたせて躍っているじゃないか

 

生命が爆発している

 

私はまだ生きたい 生きていたい

 

 

2017/09/23

恐竜人間

下田昌克さんに会ってきた

恐竜の展覧会をやる前からずっとずっと会ってみたかった人だ

 

壱万円アートのギャラリーに行ったけれど、他の出展者なんてどうでもよくて

兎に角 下田さんの作品を生で観たかった

絶対一番前で下田さんのトークショーを聴きたくて2時間くらい前に行った

 

目の前に憧れの人が居て、しゃべって、動いているだけで感動した

恐竜の骨つけてて本当に格好よかった

 

 

イベントが終わって「話しかけよう、話しかけよう…!」って思ってるうちに

下田さんを見失ってしまって、必死に探して、勇気を出して話しかけた

 

緊張して何を話したか覚えてないくらいなんだけど

たどたどしくも思ってることは伝えられた気がする…

 

 

サインをお願いしたらサインだけじゃなくて、絵も描いてくれて

終いには「そこに座ってみて?」って云って、私の顔を描いてくれた

夢のようだった、もしかしたら夢だったのかもしれない

気恥ずかしいけれど、ニコニコ笑いながら描いてくれて

まるで本の中の世界に旅しているみたいだった、本当に

 

握手もしてもらった、なんなら一緒に写真も撮ってくれた

終始ボロボロ涙がこぼれそうだったけど必死に我慢した

 

 

帰り道、表参道を歩きながらわんわん泣いた

リアルに嗚咽しながら泣いてた、うれしくて

 

原宿から山手線に乗って、代々木で下りて

下田さんがよく行くカレー屋さんに寄ってカレー食べた、おいしかった

 

 

明日からもたくさん絵を描く

生まれてきてよかった、死なないで生きてきてよかった

 

2017/05/14

A LIVE

17歳、予備校時代。たくさん絵を描いた。

評価が良かったときはご褒美にラーメン食べにいった。

自販機でコーラばっか買ってた。

 

夜中に学校に忍び込んで、光が漏れないように窓に暗幕を張ってみんなで絵を描いてた。

ジャンケンで負けたヤツが肉マン買ってきて、みんなで食べて、みんなで肩揉みっこして、

朝焼けに照らされながら眠気とともに歩く帰り道は最高だった。

命が燃えていく音がした。

 

描いて描いて描きまくってたらいつの間にか10年経ってた。

ちょうど10年。

「絵描かなくてもいいや、大丈夫」ってときも正直あった。でも、

つらいとき、悲しいとき、描かないと駄目だった。

絵から離れられない、どうしても。

 

 

それでも

 

 

生まれてはじめて「歓び」を絵にしたとき、観てくれる人が増えた。

それまで「正」の感情は描く必要はなかったし

残さなくてもその瞬間を生きればいいと思ってた。

 

でも誰かに触れて、あたたかさ、ぬくもり、

その感触を描いたら観てくれる人がうれしそうだったんだ、本当だよ。

 

 

街を歩く

 

 

コーヒーを丁寧に挽いた匂い。

煮込んだカレーの匂い。

にんにくを使ったパスタ、麺を茹でる匂い。

(今日は菜の花のパスタにしようか)

中央線が走る、カラスと鳩が飛ぶ、春が舞う。

 

 

街は生きている。

人も生きている。

 

美しくは生きられない、でも

生きるって美しいことなんだよ、きっと。

 

明日も愛する人のために食事を作り

話し、笑いあって、偶に傷つき、そしてまた仲直りしよう。

 

 

今日、夢から醒めた私はまた夢を見る。

その夢から醒めたらきっとまた違う夢を見続けるんだろう。

そうやって 生きていく。

 

 

ホリウチ ヒロミ

 2017/05/05

まるで僕らはエイリアンズ

このDIARYコーナーの更新頻度の低さよ…

2016年なんて1回しか更新してないし(しかも内容が暗い笑)。

 

あ、個展やります。

他にやらなくちゃいけないことがあって、それが終わってから…と思ってたんだけど

待ってたらキリがないので思い切ってギャラリーを予約しちゃいました。

 

ペン画を始めてそれがだんだん形になってきてから初めての個展だから

今までの集大成みたいな展示にできるといいなぁ

 

 

2016年は大きな事件がいっぱいあった。

 

師匠がいなくなった(生きてるけど海外に修行に行っていつ帰ってくるかわからない)。

ありきたりだけどいなくなって初めて分かることもたくさんあるんだなぁ。

あと全然関係ないけど好きなアーティストのインタビュー記事で

 

 

Q「会いたい人はいますか?」

A「いない、会いたい人には会っている」

 

って書いてあって「カッコえぇ〜!」ってなった。

 

 

いなくなって改めて感じたけどもっと会っておけばよかった。

私のことを本気で叱って、殴って怒って、そして抱きしめてくれる人だった。

(この書き方だとあんまり伝わらないな笑)

 

なにか云われてる時は正直キツイんだけど

私のことを本気で考えてくれているから云ってくれたんだなぁ、って後後感じる。

 

いつかみんないなくなってしまうんだから

生きているうちに、会いたいとき会いたい人にどんどん会いに行きたい。

 

 

レモンサワーが進む。

 

 

あ、そうだ!師匠とお別れするとき

「日本に帰ってきたらすごい藝術家になってますから!」って云っちゃったから

すごい藝術家にならないとね。

 

「もう会えないわけじゃない、インターネットなんか無くても

 生きていればきっと会えるよ。きっとね。」

 

 

2017/04/25

生きないと描けない

(いつになるか分からない)次の展覧会でやりたいことが具体的に決まってきた。

私が感じてきた「孤独感」や「疎外感」を、絵に、作品にしたい。

 

 

選挙の時期に駅前で拡声器を持ってワーワー言ってる候補者が何故五月蝿いのか分かった。

彼らに興味が湧かないからだ。

彼らの思想を深く知りたいと思ったならば足を止め、演説を聴くだろう。

でも発信している人がどんな人か識らないから、発信されている言葉は右から左へと流されていく。

 

昔それと同じ、いや、到底敵わない立ち位置で物事を発信していた。

 

 

自分のしていることを、他人に視てもらうにはそれ相応の準備が必要なんだ。

 

 

何も知らない赤の他人の孤独や疎外感はきっとどうでもいいことだと思う。

でも尊敬している人や好きな人、興味を持った人の感情なら知りたいし認識したい。

 

私の性的指向や、ずれている自己自認、発達障害のことなんて絵に描いても意味ない。

それはただの自慰行為だ。

 

でもその道を通ってこなければ知ることのできなかった想いや感情が、少なからずあるんだ。

それを共有できるように昇華して、生産性を持って制作することが

自分(の理想)にとっても、周りの人にとっても健康的な道なんだと想う。

 

どうしようもできないことは現実にある。

それに絶望するのではなく、どうせだったらなにか生み出してやろうじゃないか。 

 

私は人と交流をするために絵を描いているのだから。

描くことによって、人と関わりたい。

 

 

ホリウチ ヒロミ

2016/09/30

日記書かなさ過ぎ

日記書かなさ過ぎ…前の更新が半年以上前って、この「DIARY」コーナー必要なのか(笑)

 

 

HP更新ついでに久々にニッキでも。

 

2015年は色色あったような無かったような

去年の日記を読み返してみたんだけど、2015年でやりたかったことは一応出来た、かな?

 

来年は逃げてきたこともやるべきこともちゃんとやって…(笑)

自分の描きたい世界を広げていけたらいいな〜

 

 

2015年の1年間は 全部自分ではない違う誰かのことを描いて、

「作品に自己投影しない」ってことを意識して制作しました

 

だからモデルさんをお願いしたり、誰かの歌や言葉をもとに描いてみたり、動物だったり、

とにかく自分と作品との距離を広げて 客観的に絵を見られるように。

 

いつも「自分、自分」ばっかりになっちゃって他人が絵に入り込む余白とか隙間が

今までの自分の絵には絶望的に足りてなかったから

 

描きたいものの見せ方というか、対象(モチーフ)の物語を自分が作るとしたら…

なんてことを想像しながら描くだけでもけっこう変わってきたかなと思う

 

4月から始まる2人展でその集大成が作品になるといいな〜!

 

 

…あと来年は、個展やりたいなぁいきなりだけど(笑)

 

あとTwitterで知り合った人でとても素敵な詩を書く方がいて

その人にお話を書いてもらって、自分が絵を付けて、絵本?みたいなものも描いてみたい

 

やりたいことがたくさん!なのでひとつひとつ焦らずやっていこう、な!

飽きたから終わり!

 

 

(写真はこの間食べた馬刺です、美味かった)

 

 

2015/12/31

どうやったら伝わるのかしらね

「一番痛いときを10だとすると、今はどれくらいの痛みですか?」

 

例えば視力や聴力は数値化できる

 

どんなに美味しい料理を作ったって、苦手な人にしたらそれは不味い

 

僕が死にたいと思って過ごした今日は、誰かが必死に生きたかった明日かもしれない

 

でも誰かが僕になって今日を過ごしたとしたら、きっと死にたいって想うと思う

 

わたしは家族が死んだことはないから、家族を亡くした人の悲しい想いは分からない

 

理解しようとすることはできるけど、理解はできない

 

だってわたしは家族がいなくなったことがないのだから

 

聞こえる音が大きいのは何故だろう

 

わたしは犬の鳴き声や子供の声を聞くと、大きい音を聞いたストレスではないストレスが襲ってくる

 

動けなくなってしまって、心の真ん中に大きな穴が空いて、思い切り殴られた様な気持ちになる

 

誰かにこのことを言っても無駄だ

 

だってどんな風に聞こえてるか分からないのだから

 

わたしがもし家族を亡くしたら「こんなにも悲しい想いなのか…!」って実感すると思う

 

でも普通の人がわたしの様な聞こえ方を実感することはない

 

だから理解しようとすることすら難しいと思う

 

だって他人事なんだから

 

人よりも悲しい気持ちになりやすいのは 気も持ちようだと思われるのが嫌だ

 

でもそれを理解してもらえるような材料がない


もしかしたらわたしは遠い星から来た宇宙人なのかもしれないな

 

 

2015/05/30

二人の体温 違っているから

個展が無事…でもないけど終了しました



今回の展示は好きな人に「好きだよ」って言うための、ただそれだけの個展でした


自分がどれくらい好きかとか、それがちゃんと伝わってるかとかは重要ではなくて

自分の気持ちを相手に発信出来ることがうれしいんです



2015/05/10

As time by, they change everything

昔 色んなことがどんどん変わっていってしまうことがすごく嫌だった

多分 わたしはひとつのことに執着してしまう性格だと思うし

次から次へと変わりゆく環境に対応出来る能力も人より低いと思う


学生の頃 すごく仲良くしてる友達が4~5人いて

「多分この人たちとはなにがあっても一生付き合っていくんだろうな」

なんて根拠のない自信を持ってた


相手から好かれている自信もあったし、何より自分がその人たちのことを大好きだったから

一度好きになった人を嫌いになる感覚なんて想像すらできなかった


それから何年か経って 今も気兼ねなく会える人は少なくなってしまったなぁ

物理的な距離や時間の流れが 自分も人もどんどん変えていってしまって

前はあんなに気が合ったのに 今ではすっかり噛み合なくなってしまったよ



…とまぁ昔はここまでの考えまでしかできなくて 悲しくなって終わってたけど

でも今はそんなのもありかなぁなんて思えるようになってきた


時間の流れが人を変えていくのは当たり前で

会えなくなってしまった人のかわりに 違う誰かに出会えたし

そのおかげで知らなかった自分にも出会えた



自分や人を「変わってしまった」と悲観的にとらえるのではなく

変わっていくことをもっと愉しめたなら もう少し楽に生きられる気がします



2015/04/16

グループ展 ANIMAL WORLD 7

グループ展ANIMAL WORLD 7が無事終わりました〜

もう こんなに自分にとって収穫のある展覧会は初だったんじゃないか…ってくらい

たくさんのことがあったな…

 

 

①こひら氏

 

こひら氏がいなかったらこんな経験もできなかったんだな…と思うとちょっと怖くなる

彼女にグループ展に誘ってもらったんだけど、本当に本当に良かった

 

「動物を描く」というものすごくシンプルなお題のグループ展だったんだけど

自分1人だけだったらおそらく描かなかったものをたくさん描いて

「あれ?以外とイケるぞ?」というかなんとうか、意外な手応えと新しい発見がたくさんあって

新しい自分にいくつも出会えました

 

それよりなにより、今回の制作はとにかく燃えてました

争う相手がいるというか対抗心というか、基準があって比べられるジャンルじゃないのに

とにかく負けたくなかった(笑)

彼女の制作途中をネットで見る度「クソッ!!こんなにいい絵描きやがって…!!」と一喜一憂して

あーでもないこーでもないと試行錯誤を繰り返してました

 

わたしの奥底に眠っていた力を彼女が無理矢理引き出してくれたような気がする

それは決してひとりじゃできなかったな

 

こひら氏、本当に有難う。

 

 

②無人島

 

なんでこんなに絵を描いてるか、今回の制作中にぼんやり考えてたんだけど

展覧会が終わって帰りの電車の中ではっきりと分かりました

 

秋頃からたくさんの人と同時に連絡を取ったり、コミュニケーションをとるのができなくなってしまって

「連絡を返さなきゃ…」と頭で分かってても、文章を考えられなくて

そのこともうまく伝えられなくて、ひとり…ふたり…と返信できていない人が増えていきました

 

とても申し訳ない気持ちでいっぱいなんだけど、それをどうすることもできなくて

ただただ制作を続けていました

 

でも、展覧会最終日 その友達がみんな来てくれて

どうすることもできなくて、なんの説明もしないで連絡が途絶えていったのに来てくれて

みんな何事もなかった様に笑顔で話してくれて、ただただ感謝の言葉しかありませんでした

 

 

初めて個展をやったときもそうだったんだけど

偶偶居合わせた見ず知らずの人と話したり、知人を呼んで足を運んで来てもらったり

わたしは人と話すのが苦手なので正直しんどかったです

会期中、疲れて寝込みました

 

でもその個展が終わった時 ものすごい充実感で満たされていて

「もっともっと人と話して繋がっていきたい!」と思ったのを覚えてて

 

 

今回「絵を描くことでこんなにも人と繋がれるんだ!」とはっきり実感しました

「わたしは人と繋がるために 交流をするために絵を描いてきて これからも描いていくんだ!」って

はっきり分かりました

無人島で一生好きな絵描いてていいよって言われても嫌だもん…

 

誰かに何か伝えてたくて描いているワケでもなく、表現の手段として絵を媒体にするワケでもなく

人と交流をするために描いていきたいです

 


言葉足らずでよく分からん文章になってるな…(笑)

 

とにかく実りの多い展覧会でした、生まれてきてよかったです


 

2015/03/16

うれしいことがあると

わたしは多分 人の何倍にもうれしくって

飛び跳ねて 駆けだして  大きな声で叫んで

大袈裟じゃなく生まれてきてよかったと感じるのだと思う

 

かなしいことがあると

わたしは多分 人の何倍にもかなしくって

まるでこの世に終わりが来たみたいにうずくまって

消えてなくなってしまいたいとわんわん泣くと思う

 

感情がうまく制御できなくて 本当に疲れる

 

でも 母はそんなわたしのことを

「人より感受性が豊かなんだね」と言い換えてくれた


 

そうか わたしは人の何倍も強い刺激を受けて生きていかなきゃいけない

 

でもそのかわりあなたのことを強く これ以上ないくらい全力で愛することができる

 

自分ではない誰かに「愛してる」って伝えられるのがうれしい

形なんていらないと言っておきながら ごめんなさい

わたしは只 この今、

たった今一瞬一瞬を精一杯生きた証拠が欲しい

愛したんだという軌跡を残したい

 

 

明日なんてもう言わないから

絵を描くということを「伝達手段」ではなく「足跡」として

今ここに残させてください

 

 

 2015/02/28

うまく聴こえない その2

前回の日記の続き。


前回は自分の聴覚の不便な点をあげたけれど、逆に便利な機能もあるんです。


私は絶対音感があって聴こえる音はほぼ全部ドレミで聴こえます。

ほぼ、というのは人の喋る声と単音の破裂音(手を叩く等)は音程が分かりません。


姉弟全員が絶対音感を持っているので家族でドライブしている時、

歌詞がない間奏やクラシック音楽もみんなドレミで歌えていました。


絶対音感とは関係ないかもしれないけど「ド」の音は「ド」とそのまま聴こえるので、

「ド」の母音の「O<お>」が音について聴こえます。

どういうことかというと聞き慣れてるピアノの音やピッチの合っているオーケストラの

音楽を聴くと「音程」と「母音」が同時に聴こえるので人が歌っているように聴こえます。


ただこれが原因なのか歌詞があるメロディは音程がよく分かりません。


つまり「ド」の音程で「レ」と発音されると発音の方が優先的に選択されるみたいで

結果ごちゃごちゃになってしまって歌声はうまく音程が聴き取れません。



あとこれも関係あるか分からないんだけど、自分には「共感覚」という感覚があるみたいです。

絶対音感も共感覚も小さい頃からあったのでみんなそうかと思ってました。


どんな感覚かというと、自分は音を聴くと色が見えます。

音の音程、楽器、曲調によってすごく変化があります。


ファはこんな感じ。


あと自分が文字だと認識できる文字には全て色がついてます。

ひらがな、カタカナ、漢字、数字、アルファベット。

アラビア語とかタイ語とか自分が読めなかったり認識できない文字には見えません。


文章


いや…、ホントに(笑)

だから小学生の頃、模造紙に時間表を書く時「国語」の「国」の字を青で書いてる子が

理解できませんでした。

どっからどー見ても赤いのになんでわざわざ青いペンを使うのか…。



なんでこんな風に見えるようになったか分からないけど、

前回書いた不便な面を埋め合わせるために便利な機能も神様はつけてくれたのかしら、と

今ではそう思えるようになりました。


色色調べたら共感覚を持っている人達全員が共通の認識を持っているわけではないらしく

ひとりひとり微妙に違ってくるらしいです(同じだったら便利なのに…)。


自分は多分、普通の人が見ているより遥かに多くの色であふれている世界が見えてるんだと思います。


いつか「自分が見えてる世界はこんな感じなんだよ」っていう絵をたくさん描いて

それを並べて個展をやってみたいなぁなんて思ってます。



せっかく自分にしか見えない世界を見させてもらってるので…。



2015/01/20

うまく聴こえない

ここ2ヶ月くらい自分のことを偶に調べていました、あまりにもおかしかったので。

今回は「聴覚」について。

 

 

私は右耳がよく聞こえません。

小さい頃、中耳炎を繰り返していたのが原因かもしれません。

 

それで特に不便なことはありませんがいつの間にか人と歩く時は右側で、

受話器を取るときは必ず左側になりました。

左耳を人に向けていた方が多少ですが聞き取りやすいです。

 

 

2つ目に、私の耳は「カクテルパーティー効果」と呼ばれる機能があまりうまく働かないみたいです。

 

まわりに人がたくさんいるにぎやかな場所で会話をする際、

人は無意識のうちにまわりの無関係な音に耳を向けず、目の前の人の声を優先的に聞いて

ある程度うるさい場所でも容易に会話することができるそうです。

 

自分の聞くべき音を選択して注意を向けられることから「選択的注意」ともいうそうです。


 

私は音量にもよりますが席の間隔が狭いカフェ等での会話が苦手です。

 

友人の話し声、隣の人の会話、店のBGM、注文の呼び出し音、人の足音、食器がぶつかる音…

全ての音が同じ音量で耳に入ってくるのでどれが自分の聞くべき音なのか分からなってしまいます。

 


3つ目に、私には聞けない音がいくつか存在します。

それは2種類に分けることができて、「何故鳴っているか判断できない音」と

単純に「受け付けない音」です。

 

前者は特に機械音が多く

最近では駅の改札口で鳴っている「ピーン…ポーン…」という音がダメでした。

調べたところ視覚障害者のための「視覚障害者誘導チャイム」というらしく

「改札はこっちだよ」という意味の音でした。

苦手だった音も何故鳴っているか理解できると平気になります。

 

後者は色色な音があり基準がありません。

特に苦手なのは子供の声です。泣き叫んでいたり興奮してる声ももちろんダメですが

普通に話している程度の音量でも気持ちが悪くなってきます。

他には特定の犬種の鳴き声、何か聞き取らなければいけない時に聞こえる雑音

(人工的に水が流れる音、エアコンの音)等共通点がありません。

こちらは何故その音がするか理解しても治りません。

 

どちらの音も聞いたとたんにとてつもない恐怖感に襲われて身体がこわばってしまいます。

さらに続けて聞いていると思考が音に支配された様な感覚にとらわれて涙が止まらなくなります。

イヤホン無しでは生活できません。

 


私は大音量で音楽を聴くのもカラオケで歌を歌うのも聴くのも好きです。

ただその半分、いや1/10の音量でも苦手な音のほうが大きく聞こえてしまいます。


「なんでこんなんなんだろ」と思って調べ始めていたら

疑問に思っていたこと全ての終着点が1カ所に集まり出したので驚きました。

 

 

文章書くの疲れてきたので続きはまた次回…

 

 

2015/01/11

HP更新ついでに日記でも

すごいね、この日記コーナーの更新されなさっぷり…

4月の時点で「たくさん更新するぞー!」って言っておきながら一回もしてないっていう…(笑)

 

せっかくHPリニューアルしたのでついでに2014年でも振り返ってみませうか。

 

 

 

うーん、詳しくは書けないんだけど秋頃から色んなことができなくなってしまって

今まで頑張ればできたことが、頑張っても上手くできなくなってしまいました。

できないことは日々増えていって、すごく困ってしまって。

でも調子が悪くてもペンを握って絵を描くことはできたから、

後半は必死になって描きました。


 

絵を描き続けた目的はただひとつ、ツイッターの「フォロワー」を増やすためです。


 

夏、個展を開いた時「ツイッターを見て」と言って来てくれた方がたくさんいて驚きました。

誰経由で知ったのか疑問に思って、半分くらいの人は「こひら氏経由で」と答えて、

「他人の個展にまで興味を持たせるなんていったいどんなヤツなんだろう…」と、

彼女への興味が日に日に増す一方でした。

 

そんな彼女も自分と同じ時期に個展を開催していて、彼女のツイッターのTLには

「こひら氏の個展に行ってきました!」と楽しそうに呟いてる人がたくさんいて

正直すごくうらやましかった(笑)

 

 

その時に「もっとたくさんの人に絵を見られないと意味ない!」とふと思って。

いや 意味ないことはないんだけど、あまりに見てくれる人が少ないってその時初めて感じたんです。

(遅い…笑)


自分が宣伝できる媒体といったらネットのツイッターくらいしかなくて、

当時フォロワーは200人とちょっと…

「絵描きました!」って言っても200人…、しかもそのうちまともに絵を見てくれて

さらに個展にまで来てくれる人に換算したらいったいどれだけ少なくなってしまうんだろう。

 

でもこんな少ない宣伝力でも足を運んでくれる人がいたのも事実。

もしこれが2倍3倍と増えていったら…そう考えているうちに個展も終わりに近づいていって

最終日、目標を立てました。

 

 

「年内にフォロワー1000人いったら、もっと大きいところで個展を開こう!」

 

 

いったいどこからこの人数が出てきたか忘れちゃったけど、多分キリがいいから。

アバウト過ぎる目標だけど、とにかく多くの人に知ってほしかった。

 

だから「こんなんがウケるかなーあんなほうがウケるかなー」って

普段だったら描かない絵も描いたり、描きたい絵を描いたらあんまりウケなくて落ち込んだり。

とにかく一喜一憂しながら必死に枚数を重ねました。


いうなれば自分がどんなことができるか自己紹介のための広告というか…

「自分が本当に描きたい絵を描いていくため」に描くべき内容を決めて描きました。

 

 

12月、やっとこさ目標達成した時はうれしかったんだけど、なんか…「こんなもんか」みたいな。

 

色んな内容の絵に挑戦したことで幅も広がったし、前よりたくさんの人に見てもらえて、

顔は見えないけど直に感想までもらえるになって、たしかにうれしい。

 

だけど「もっとできるな…!」って達成と同時に思ったんです。

だから、その「できるな!」って勢いのまま3月の企画展に向けて頑張りたい。

 

 

自分が建てたいと思う家はまだ、積んで積んで積み上げてやっと土台が出来たところ。

その上に乗せていく基礎や柱を、2015年からやっと組み立てられる。

 

3月の企画展、何の縁だか憧れだったこひら氏と一緒に参加できるんです。

それに向けた制作が次への第1歩だと思って、精一杯取り組んでいきたいです。

 

来年もたくさん描くぞー!

 


2014/12/31

The Present

目の前には どこまでも青空が広がっていて 雲はゆらゆら流れていく。

あの日繋いだ君の手は、今では違う誰かに触れているんだ。


もしも 明日 君がいなくなることが分かってたら

一回一回 大切に手を繋げただろうか。

それとも 永遠に一緒に居られることが分かった方が

一回一回 大事に抱きしめられただろうか。

いずれにせよ。


でも わたしが欲しいものは「明日」でも「永遠」でもなくて

ただ 今、このただ「今」一度。限りあるあなたを精一杯強く抱きしめたい。

この 今一瞬 手を繋いで歩きたいんだ。


あなたの小さな手の温もりは世界一だ。


もしかしたら今日、とても楽しくてうれしくっても、

明日何か悲しいことが起こるかもしれない。

その逆もまた然り。


でもそれを悲観して、明日を心配して生きていくのではなくて

だからこそ この「今」を精一杯生きたい。


ただの毎日、でも最高だ。

なんて素晴らしい世界なんだろう。



有難う、あなたに会えて良かった。

今日、喧嘩しても、 

明日、仲直りしよう。


人生百年も生きていられないんだったら、好きな人と百年も一緒に居られないんだったら、

できるだけ あなたの隣で笑っていたい。

いつも あなたを笑わせていたい。

有難う。




ーーー去年の冬に書いた詩をちょこっと校正したものですね。


2014/07/01

久しぶりに更新

さー放置し続けていたHPをやっとこ更新

ちょこちょこやっておけば良かった…

このDIARYコーナーのポエムっぷりはなんなんでしょうね

久しぶりに読み返してみたら大変なことになってる(笑)

 

 

さて、この春から新しい所へ引っ越し、環境もガラッと変わってうれしいです

 

最近はほぼドーローイングにしか手を付けれてないから

本格的に作品作っていかないとな…

 

そんなワケで毎日脳内お花畑状態、

うれしくいことがたくさんあって毎日咲き乱れてます(笑)

 

 

個展に向けて(なるべく)たくさん更新するぞー

 

 

2014/04/02

ありふれたようにみえて 特別だってこと

目の前には どこまでも青空が広がっていて 雲はゆらゆらと流れていく。

あの時繋いだ君の手は、今では違う誰かを抱いている。

 

もしも 明日 君がいなくなることが分かってたら

一回一回 大切に手を繋げただろうか。

それとも 永遠に一緒に居られることが分かった方が

一回一回 大事に抱きしめられただろうか。

いずれにせよ。

 

でも わたしが欲しいものは「明日」でも「永遠」でもなくって

ただ 今、ただの今一度、一度きりのあなたを精一杯抱きしめたい。

この 今という一瞬一瞬を 君と手を繋いで歩きたいんだ。

そうだ、スーパーで買い物をして手を繋いで歩いて帰ろう。

君の小さな手の温もりは世界一だ。

 

もしかしたら今日、とても楽しくてうれしくっても、

明日何か悲しいことが起こるかもしれない、トラックに轢かれて死んでしまうかもしれない。

その逆もまた然り。

 

でもそれを悲観して、明日を心配して生きていくのではなくて

だからこそこの「今」という一瞬を精一杯生きたい。

 

ただの毎日、でも最高だ。

なんて素晴らしい世界なんだろう。

 

 

今日、喧嘩しても、 

明日、仲直りしよう。

 

人生 好きな人と100年も一緒に居られないんだったら、

できるだけ あなたの隣で笑っていたい。

いつも あなたを笑わせていたい。

有難う。

 

2013/12/21

同化 その2

7月から新しい仕事を始めてやっとペースつかめてきた今日この頃です


突然ですが、最近生きているのがすごく楽しい…、とは少し違うんだけど
なんだかすっごく生きているっていう実感が湧きます。
「楽しいことばっかりで楽しいわ!」っていう意味じゃなくて
楽しいことも厭なこともたくさんあるんだけど、どっちも引っくるめて。

嫌いな人も殺したい人もいるのだけど、それってすごく健康的だなと最近感じる。

ずっと前の自分は、好きな人が好き過ぎて人と同化してしまいたかった。
少し前の自分は、好きな人に嫌われるのが恐くて人と同化してしまいたかった。

でも、最近人と同化なんてしたくないと強く思う様になった。
(前回の日記と180°違うな…)

 


人と意見が違う度、人とぶつかる度、正直今でもしんどくはなるんだけど
人と自分が各各で、個と個で、別別と感じられることがとてもうれしい。

それを感じた上で人と何かを「共感」するのではなく「共有」できることがとてもうれしい。

だって体温も感性も何から何まで違う人のはずなのに
ふとした瞬間、同じ瞬間に笑い合えるってなんて素敵なことなんだろう!って。


きっと最近そんな風に感じられて、解釈もして
色んなことがある今日が刺激的で楽しいんだと思います。

人間関係が広がるに連れ、これから楽しいことだけじゃなく厭なことも増えていくと思う。
けど、それが不安でもあり、楽しみにも感じてしまいます。

 

2013/08/31

同化

 

今は、無理だとちゃんと頭で理解できるようになったからそんなに苦しくはならないけれど、

それでも偶に苦しくなる時がある。

 

 

「人と同化できない」ことが厭だ。

 

 

昔は人が好き過ぎて、人と同化してしまいたかった。

人と自分が同じ存在になってしまいたかった。

 

でも今は、人が好きだからじゃなく、

いちいち傷つくのがしんどいから同化してしまいたいのかもしれない。

お互い喰い違ってひどく傷つくくらいだったら、他者との境界線を失くして傷つける側も傷つく側も失くしてしまいたい。

 

 

でもどんなに強く願っても、肌と肌が触れても、

人の最先端、皮膚が存在の皮膜として全身を覆ってまるで距離を作るみたいに、

どうやっても他人に触れられないし踏み込めない。

 

 

それが偶に厭なんです。

 

 

2013/04/28

-ERROR

 

今でも想う。

「あんな思いをしたんだから、もう早早傷つくことなんてなくなっていくだろう」って。

それでも日々過ごす中で築いてきた「耐性」も「経験」もするりと抜けて、

「そんなの何の役にも立たないよ」と、嘲笑うかの様に日常から事件は襲ってくる。

案外まだまだ傷つくことって多いんだな。

 


精神的な痛みは目には視えない。

だからこそ視覚化して表現したいのかもしれない。

「あなたの一言で僕はこんなにも傷ついたんだよ。」って視せてみたい。

 


でも人と解り合えない時、僕はとてもうれしい。

あなたと違う「個」であることがうれしい。

遠くで鳴っているようで隣にいるあなたにさえそれは聴こえない。

 無意識のうちに心のどこかで空虚で遠いところを求めてる。

 


表現方法が人と違う場合、

「どのくらい異常?」

一般的であれば満足?普通であったら満足?

一般論を無理に押し付けられるのは もう厭だ。

例え、視る側も視せる側もしんどい作業なのは解っていても。

 


空を仰ぐと、吐き気がする程 天まで突き抜ける良く晴れた青。

近所の風鈴と蝉の音がぐちゃぐちゃに混ざって、茹だる暑さとともに脳裏に焼き付く。

足首には足枷の跡みたいな内出血、靴をキツく絞め過ぎた。

右手首は消えない火傷の跡、左手首はなんだかくたびれた服の皺みたいになってる。

 


でも傷口がドクドクと脈打つ度に、強く生きようと想う。

例えおかしくても、間違っていても、

ただ生きたい。

 

 

2012/08/15 @ Lasah

(RE)BIRTH DAY

 

朝起きると、部屋中真っ白じゃないことに毎日感動する。

今でも偶に間違えるんだ。 

毎日があまりにも退屈で、唯一の楽しみは45分間だけ外に出られる散歩の時間。

売店で冷えてないコーラを1本買って、病院の外を眺めながら飲み干すのが楽しみだった。

想い出は僕を追い詰める、でも、その想い出を創ったのは、僕。

オーバードーズした奴が易々と生きられる程、世の中甘くない。

2度目の失敗。飽きれられてどうせ誰も待ってなんかくれないし、このまま死ねばいいと思った。

 

 

でも、僕には待ってくれる人がいた。

「人」と繋がって勝手に苦しくなったくせに、いつも救ってくれるのは「人」だった。

何時でも、手放しそうにならないと視えないのは、何故?

 


新宿から始発で帰って眠りに着く午前5時。

明大前のあの想い出の公園で、花火をしながら語り合う午前2時。

いつも「今日は寝ないから!」と云って、いつも寝始める午前0時前。

その次の日、ウチでカレーを作って庭のバルコニーで食べた穏やかな都留の午後2時過ぎ。

酔いが廻りはじめて、くだらない話を延延と続ける雨の立川、午後8時。

井の頭公園で、ビール片手に桜を見ながら散歩する午後3時。

仕事終わりにほろ酔いで電話が掛かってくる午前4時。

いつも大月駅まで迎えに来てくれる午後7時。

 

 

そんな何気ない日々を大切に出来る人になりたい。

これから何度もうれしくなって、これから何度も不安になって、

きっとそうやって人生は繰り返されていくんだろう。

 


なんて素晴らしい世界。

人生は短い。

想い出を足枷にするんじゃなくて、想い出と一緒に前に進める人になりたい。

 

 

2011/06/01 @ Lasah